聖さんの日記

初めまして、聖(ひじり)といいます。たまに心を研究したり、小説もどき書いたりしています。メッセージ・ご意見・ご感想はこちら https://forms.gle/eAitJajjmx6ae7c4A

ステーキの流儀

前回までのあらすじ

台風の金曜日、傘が壊れびしょびしょになった男は牛丼屋へ立ち寄り、ステーキ丼を注文したが値段の割に肉が薄く味が濃過ぎてあんまりのクオリティの悪さに苛立ちを覚え、あろうことかスーパーに駆け寄り400円前後とステーキ牛肉とニンジンを買って帰宅した。

ステーキの流儀

ニンジンのグラッセを作った。砂糖の優しい甘さと塩で味が引き締まりそしてマーガリンがまろやかな風味を与える。͡濃過ぎずちょうどいい感じに仕上がりつまみ食いが止まらなかった。

ステーキは焼き加減のこだわりはない。ただ焼くという既成事実が大事なのだ。それと前菜とライス以外何もいらない。
筋切りが甘かったのはご愛敬、塩コショウだけで味がつけられた肉油も敷かずに焼いたおかげが無駄な油分でドロドロになっていないのがうれしい。

硬すぎず柔らかすぎずちょうどいい硬さをしたステーキをナイフとフォークで大まかに切り分け大口開けて屠る幸せとライブ感はたまらなく、悔しいことがあっても噛んで消化する。これこそが安定といえるであろう。

塩コショウの刺激のままに土鍋炊きのご飯で米の甘みを感じながら刺激をからめとり飲み込むことで人は優しくなれそうな気がするのだ。

このシンプルさが心を救い活力を吹き込み前進させる。
改めて、食事とはただ食べるだけではなく工程を楽しみ、食すことで満足し休まる。当たり前だがその当たり前を再確認する事こそが人をまた豊かにさせるものだと思うのであった。